空気輸送

小田急少女

scene02





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確かに千葉に住んでいたけど船橋じゃないし、確かにわたしの名前は千歳だけどそこから安直にあだ名を決めないでほしい。
最寄り駅との偶然の一致で図らずとも一瞬にして級友に名前を覚えられてしまった転校生のわたしは、

「千歳……?千歳船橋じゃん。ちとばとかどう?」

という祖師ヶ谷大蔵が最寄り駅のクラスメイトの鶴の一声で一応あだ名がそれに決まった。
以降わたしは心の中で彼女を祖師ヶ谷と呼ぶようになる。



彼女の本名は覚えてない。つまりその程度嫌っているということだ。
彼女みたいな派手な子は苦手である。特に実害もないのだが、リーダー各的な八方美人がどうも好かない。
それにわたしはどうやら嫌われているようで、話にわたしの名前が出ると微妙な神妙そうな顔をする。
席も近く同じ班なのだから、そういう和を乱すことはやめてほしい。まあでもどうせあと一年もすれば消える記憶か。
祖師ヶ谷に彼氏ができてまだ一月、ラブラブらしいがそれもどうでもいい。そろそろ昼休みの話題も変わってほしいものだ。

先ほどあだ名が一応、と言ったが、それはあのあだ名が3日しか浸透しなかったからだ。
そりゃそうだ、言いにくいもん。
しかし名付け親は何の責任を感じているのか未だに使っている。呼びにくいだろうに。

そんなコミュニケーションのタネにわたしの身分証明にが使われるのも下火になったある日、電車で下校中のわたしの隣に見覚えのある学ランが立った。

「千歳ちゃんだよね?」

見覚えがあると言ってもうちの学校の学ラン、までしか特定できない。
あんた、誰。
なんてもちろん言わず、このわたしの好みの真逆を行く顔を見て脳内名簿を引っ張り出そうとする。

「どう、学校慣れた?クラス馴染めてる?千歳ちゃんの髪きれいだよね」

わたしが名前を必死で適合させている間に話は一方通行ながらとんとん拍子で進んでいたようだ。
なんだかまさぐっているようなコミュニケーションに奇妙さを覚えつつ電車の進行方向をボーッと見ながらのらりくらりかわしていると、ふとわたしの視界の端に見覚えのある顔が映った気がした。

「…ねえ、あれ…」

けたたましく発車のベルが鳴った。液晶を見ると最寄り駅。
やばい。降りそこねたら門限間に合わない。

「ごめん、またね!」

結局彼が誰かもわからず、話も中途半端のまま降りてしまった。



祖師ヶ谷がわたしを放課後に誘ってきたのはその二日後である。
てっきり嫌われているものだと思っていたが違うようで、

「なんかドライだよね。面白い。そこすごい好きだよ」

と誉めてるんだか貶してるんだかよくわからない発言で無理矢理わたしの手を取り、様々な店を紹介してくれた。

「ここのラーメン値段のわりにおいしいんだ。この美容院評判いいよ。ちとば髪きれーだし羨ましいなあ」

と笑う彼女は純粋で、わたしにはとても眩しすぎた。
その屈託のない光に魅せられながら、祖師ヶ谷のお気に入りだという喫茶店に入った。
彼女はパフェ、わたしはコーヒーを注文し、他愛もない話をしているとわたしの好きなアーティストの曲がかかった。
70年代の古い曲。父の影響だ。思わず指がリズムを刻む。

「――」

急に曲がサラウンドになったと思ったら、目の前から澄んだ歌声。
祖師ヶ谷は薄く微笑んで、自慢げな顔を浮かべた。


それからと言うもの、祖師ヶ谷はわたしを事あるごとに誘うようになった。
しかしわたしの名前が話題に出ると少し顔が強張るのは変わっていないようだった。



「ああ、千歳ちゃん」

文庫本の上からにゅっと顔が出てきた。反射的に後ろにのけぞる。学ランクラスメイトとまた電車で会ったのは一週間ぶりだった。
たった2回目なのにずっとフランクになった態度に動揺しつつ、顔を覚えるのが苦手なわたしはまだ彼の名に苦労していた。

「――っ」

急に学ランはよろめいて、しゃがみこんだ。

「弱ったな…まためまいだ。…心配しなくていいよ、こうなるとしばらく続くから僕は次の駅で降りるよ」

さすがにしゃがみこむくらい酷い症状のクラスメイトをそのままにはしておけないので、一応わたしも次の駅で降りた。

学ランはさほど苦労せず電車を降り、自販機横のベンチに腰かけた。
仕方ないのでわたしも隣に座る。

「ありがとう、千歳ちゃん。少し楽になったよ。そうだ、お詫びにジュースおごるよ。オレンジ好き?」

そんな、別にいいよ――と言ったが早いか、わたしは強烈な視線をどこからか感じた。

「…千歳ちゃん?」
「ごめん、なんでもない」

わたしの中のなにかが早く帰れと訴えていたので、丁重に学ランに断りと、大丈夫であることを確認して再度電車に乗った。
ああ、三上だ。
やっと学ランの名前を思い出した。クラスメイトじゃん。
きっと明日には忘れているだろうが。



祖師ヶ谷の付き合いが悪くなった。
話題にわたしの名前が出るとはっきりと嫌悪を出すようになったのだ。
金の切れ目が縁の切れ目。いや、ちょっと違うか。
わたしが話しかけても苦い笑みを浮かべるだけで話を続けようとはしない。
――まあ、八方美人にも限度があるってことか。
気付くと毛先を指でくるくる巻いて遊んでいる自分がいた。

学級委員長が授業を休んでいた人の分のプリントを配りに声を掛けながら回っていた。
あの授業は祖師ヶ谷とサボった回。アイスクリームを食べたんだ。あたしがバニラで、祖師ヶ谷がチョコ。あの時次はちょっと離れた駅から探検しようって言ったのはどっちだったっけ――。
祖師ヶ谷が貰いに行くと同時にわたしも席を立つ。
委員長はまたサボり?と少し笑ってプリントをまず彼女に渡した。

「千歳今日休みなの?」
「あー…、そうなんじゃない?知らないよあいつなんか」

信じられなかった。
目の前にいるのに。
祖師ヶ谷はとうとうはっきりと私を拒んだのだ。
視界の端にしまった、という顔をしたクラスメイトの顔が映った。


気付いたら、わたしは切れた息で千歳船橋駅にいた。
転勤族だから憎しみの別れも、惜しい別れも知っているはずなのに。
あれくらいで心を揺さぶられるなんて、どうかしている。
必死に液体を袖で拭うたびにセーターが伸びていく。この甘ったるい居場所もこうなればいいのにって思ってしまう。
ドライってやつで心を諌めたつもりが、緩やかすぎたようだ。かえってデリケートになってしまった。

「……ここにいたの」

上から降ってきた声は、スピードコースで洗浄してもへこたれなさそうな根性のヤツ。

「……祖師ヶ谷」
「だれよ、祖師ヶ谷って」

うっかり心の中でだけ呼んでいた名前を口にしてしまった。
彼女は短くため息をついてからわたしの隣に座った。

「なんで追いかけて来たの」
「心配だったから」

今までそっちがそっけない態度だったのに、今更。
駆け引きしてるんじゃないんだから。わたしはドライで洗わなきゃいけないような繊細な彼女じゃない。
――もう、自分で何言ってんだかわかんない。

「じゃあなんで無視したの?さっきわたしがいるか聞かれたのに、そばにいるのに無視したじゃない!」

わたしの勢いに触発されたのか祖師ヶ谷はきっとこちらを睨み、言った。

「千歳と駅にいたでしょ!学校の最寄りでもなんでもないのに!ジュース買ってあげてた。あたしの彼氏だって知ってるくせに!」

――彼氏の、千歳。
ようやく足りないピースが見つかった気がした。

「…もしかして、今日言ってた千歳って、三上くんのこと?」

「そうだよ。知らないはずないよね、あたしの彼氏」

失念していたというのが正しいのかわからないが、名字でしか呼ばないから全然一致しなかった。
というか、口に出して呼んだことがないのだけれど。

「違う、彼が急に立ちくらみ起こしたって電車でしゃがみこんで…」

そこまで聞いて祖師ヶ谷は急に勢いをなくした。
下を向いて乾いた笑いを漏らした。

「…あたしのときと同じじゃん」

話によると、彼女も同じ方法で三上に言い寄られたんだそうだった。
リーダー格で放っておけない性格ゆえにいろいろ面倒を見ているうちに好きになった。友達と三上の話をする度に彼の悪いところを聞いて気が重くなると同時に、わたしを狙っていることを知った。
話題にわたしの名前が出る度に微妙な顔をしていたのはわたしではなく三上を連想してだった――。

祖師ヶ谷は時間をかけてわたしに説明した。
わたしは黙って祖師ヶ谷の横顔をただ見ていた。
黒々とした髪が映える、綺麗な横顔だと思った。


「あいつ、女たらしらしいよ」
「…しってる」
「委員長から聞いたんだ。そもそもあいつ演技ヘタクソ。電車でうずくまるとかドラマじゃないんだから」
「でもさあ――」
祖師ヶ谷は続けた。
すきだったんだよねえ


二番ホームに参る電車のアナウンスに、その声はほとんど消されてしまった。


「…かなしいね」
何にも知らないくせに、と言いたげな顔で祖師ヶ谷はわたしを見た。
「…哀しいよ」


まもなく電車が滑り込む。
その容赦ないスピードはさすがの彼女も耐えられないだろうと思った。


「わたしの彼氏、大蔵って言うんだ」
「…名字は?」
「祖師ヶ谷」
二人して笑った。
どちらからともなく歩き出し、ホームの自販機でオレンジジュースを買って、来た電車に乗り込んだ。
窓から差し込むオレンジで煌めく彼女の髪は、綺麗だった。





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千歳船橋
2014/02/23

ちょっとしたほろ苦い青春。
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